失敗しない唯一の方法は何だか知っていますか?

それは何もしないこと!

これに尽きると思いませんか?

人は「得をしたい!」というより、
「損をしたくない!」と思う生き物です。

「わたしはリスクなくして結果なし!」

と叩き込まれてきました。

半分透けてるような、
ふわふわ浮いて歩いているような
そんな不思議ちゃんには、
ショーゲキ的なフレーズでした。(笑)

難なく平和に生きていたいですもの。

大きな喜びがあれば嬉しいけど、
それよりも
大きな落ち込みがない方がいい。

 

そう!

損しない生き方。

無難に生きることも、
もちろん素晴らしいです。

自分でそれを選択したと
意識しているなら、

それで納得して、損をしない
生き方をしていけばいいのです。

けれど、それでは満足
出来ない人もいます。

これまでは、それで満足だったけれど、
急にそれでは満足出来ない時期に
差しかかる時がやってくる人もいるのです。

わたしもそうでした。

別に、家族が平和で平穏で
あればそれでよかったのです。

愛犬の小雪も含めてね。

それが、そうもいかなくなったのです。

 

家族内のギクシャク。

犬でも迎えれば新しい風が吹くかと思い、
人生で初めて迎えた犬。

それが今14歳10か月になった小雪。

わたしが期待していた
新しい風は、どこ吹く風?

ギクシャクは変わらず。

やってきたフレンチブルドッグは、
相当のヤンチャ姫。

犬には、散歩が必要ですし、
トレーニングも必須だということで、
わたし自身が外出する機会、
体を動かす機会を与えてくれた点では
新しい風が吹いた、と言えたでしょう。

犬のトレーニングや犬の健康から
人間の健康に関心が向き、
おかげで、わたし自身の
心身が安定し始めました。

 

体調に余裕ができると
自分の人生をより豊かに
生きたいと思いますよね?

人間って。

そこから少しずつ冒険を
するようになりました。

自分の枠を越えるような
ことを始めたのです。

枠って言ったってね、

自己肯定感ゼロの専業主婦。

枠なんて、ほんとに小さなものですよ。

 

欲しい本を図書館で
借りるのではなく、

本屋さんで立ち読みで
済ませるのではなく、

買う!

とかね、

習ってみたいと思ってたことを
ご近所のカルチャーセンターに通うと

決める!

とかね、

今のわたしには、
大したことじゃなくても、

当時のわたしには、贅沢品を
手に入れるようなものでした。

無収入で、社会に何の役にも立ってない、
何も出来ない、何も生み出さない専業主婦が、
自分のためにお金を使うことは、
「悪」だと思ってました。

専業主婦に価値を見出せなかったのです。

 

家族が、会社や学校でしっかり
やってくるための裏方であり、

家族が最優先であり、
わたしは、いつも一番あと。

「女は結婚したら、自分はない。

子供と旦那さんのためにあるもの」

なぜだか、すっかり母の
呪文にかかってました。

これも時代なのだとは思います。

わたしが結婚した30年前って、
世の中は、まだこんなマインド
だったのでしょうか…

 

こんな呪縛を解き、
自分の殻にヒビを入れ、殻から脱出、
新しい自分にちょっとだけ酔い…

時間とお金と労力を
自分のために費やすという

これまでにやったことがないこと、
つまりは、リスクを取ることを始めました。

その成果は、
「楽しい!」を体験することでした。

小さなリスクを取り続けることで、
リスクを取ることにも慣れます。

リスクをリスクと思わなくなります。

ある意味、贅沢に慣れるのでしょうね。

少しずつ楽しい体験を重ね、
どんどん知らない外の世界へと
出られるようになりました。

外に出てこそ、
わかることがありますね。

 

自分の殻の中に居た時は、
犠牲者・被害者・悲劇のヒロイン・召使い
を演じていたことに気づきました。

それも、家族のためにそうあるべきという
強い信念の下に。

わたしと同年代の女性は、
もしかしたら、いまだにこんな
信念をお持ちかもしれません。

 

講座のご感想にも、

「こんなに大きなお金を、
自分の為に使っていいのか、
という罪悪感をもってます」

とありました。
https://ameblo.jp/animal-communication-sch/entry-12567182009.html

昨日いただいたご感想にも、

「りこさんの講座で大金を使い、
これからも使いたいけど、罪悪感がある」

と記してくださいました。

「あぁ~ わたしもそうだったな~」

と思い出した次第です。

 

少しだけ先にこの罪悪感から脱した
わたしの呟きは、

「あの時、決めてよかった!」

です。

あの時とは、12年前のことです。

もうこういう生活は止めようと思ったのです。

家族のためだけにいるわたし、

家族のために犠牲になるわたし、

家族のために自分を押し殺すわたし、

「きっと、こんなことが
本当には家族のためにはならない」

そう思った12年前。

あの時、決めてよかったです。

結果論ではあるけれど。

 

自分の本当の望みと
自分の言葉や行動に
ズレがあると、モヤモヤが発生します。

あなたは、絶対に失敗しないように
無難に生きることを選択される方ですか?

それとも、

失敗は、糧に変えられることを知っていて
挑戦して生きることを選択される方ですか?