最期を後悔しないために
今日は、母の百箇日法要でした。
母危篤の連絡が入り、ビックリして
運ばれた病院へ直行した
あの日から、もう100日が経ちました。
くも膜下出血でしたので、
突然のお別れとなりました。
コロナ禍により、病室に入ることも許可されず、
そばで看取ることもできませんでした。
葬儀も簡素化で、ほんとに
呆気ない最期となりました。
明日は来ない。
今ここを生きるのみ。
こんなメッセージが含まれているように
思えてなりませんでした。
アニマルコミュニケーションをやっていると、
動物たちから教えられることの一つが、
「今ここに生きる」
です。
では、明日が来なくても
後悔しないか…
今日が、最期の日でも構わないか…
肉体を卒業することには、
何も未練はないのですが、
やり残したことがないかと言われれば、
後回しにしていることが満載なので、
それを片付けてしまわないと
成仏できなさそう(笑)
今日一日を生き切る、
この一瞬を生き切ることの
大切さと難しさを感じています。
そう思うと、やっぱり動物はスゴイ!
シンプルに今を生き、
いのちを生き切ったら、
未練なく光へ還っていきます。
ヒトは、大脳が発達しているが故に、
どうしても思考が複雑化してしまいますね。
ペットさんとのお別れのときも、
ほんとに色んなパターンを推察します。
どれを選択しても、
ペットさんは恨み辛みは
言わないことは承知でも、
それでも最善の答えを
探し求めてしまいます。
最善を選択したと思っても、
後々、他に選択肢があったのでは?
と、行き着くところのない問いに
翻弄されるものです。
わたしが、愛犬の小雪とのお別れで、
小雪に施した看取りのケア。
これをお話するたびに、
「わたしも、そうでありたい」
とのお声を頂戴します。
最期は、ムリをさせずに、
自然に枯れていくように…
小雪の晩年、
ずっとこれを考えていました。
母との別れのように、
その時は突然やってくるかもしれないし、
最期のプロセスを
見せてくれるのかもしれない。
いずれにしても、誓ったのは、
「もう二度と、わたしからは要求をしない!」
ということ。
体の生命エネルギー
小雪の意思
そして、魂の自由
これらを尊重しようと
誓ったのでした。
体の生命エネルギーが
枯渇していく様を確認したとき、
終末期に入ったことを悟りました。
ムリをさせないとの誓いが
揺るがないように、
心に強く決めました。
本を読み、人に聞き、
学んだ知識を実践するとき、
その時が来た!
体が枯れていくお手伝いをする。
それは、見方によっては、
自分で自分のコの命に
手を掛けるように感じるでしょう。
もう何も与えない。
生命エネルギーを注入するような
ヒーリングさえも止める。
ほぼ教科書通りに、
体は最終を迎えました。
母は、生前、看護師をしていました。
勤めていたのは高齢者を
専門に扱う病院でした。
ですから最期がどうなるのか、
それぞれのご家族に繰り広げられる出来事も
事細かに教えてもらっていました。
そんな現場を知っているからこそ、
母からは強い要望がありました。
「何かあっても、
絶対に延命はしないで!」
いつか来るお別れの時、
それは突然かもしれない。
そのときに、どうするのか、
本人の意思、
飼い主さんの方針
これらを決めておくことは、
本人にも遺族にも、
救いになるのかもしれません。
最近見つけた
緩和ケアのお医者様の動画。
最期は、穏やかに楽にと
お望みの飼い主さんにも
参考になるのかもしれません。