オートクチュールなアニマルコミュニケーションをお求めなら
今週、サロンでのアニマルコミュニケーション練習会がありました。
毎月、テーマを変えて、集中講座の復習もしています。
その講義の中で、アニマルコミュニケーターとしての
立ち位置と在り方のお話に波及しました。
プレセミナーでもお伝えしている
アニマルコミュニケーションの仕組み。
わたしたちアニマルコミュニケーターは、
ただの媒体であると、ラジオを例に説明をしています。
ただの媒体。
これがとっても大切なのですが、
ここから意識が離れがちになります。
飼い主さまとペットちゃんの媒体として
存在するのですから、
そこに個人の意思は介入しません。
これが前提にあります。
例え、飼い主さまの価値観とコミュニケーター個人の価値観とが
そぐわなくても、それがセッションに影響してはならないのです。
具体例を紹介しましょう。
わたしは動物の命を大切にしたいですし、
彼らの存在を尊重したいです。
動物だけではなく、あらゆるものに対しても、
そうでありたいと思っています。
この世に不要なものなどなく、
すべてはバランスの下に成り立っていると
考えるからです。
そんなわたしの下に、
我がコに手をあげてしまう飼い主さんが
現れたとしましょう。
わたし個人の価値観からすると、
「なんて酷いことを!!」
と解釈が起きるでしょう。
けれど、
セッションにおいても、飼い主さんを
そんな色眼鏡で見たらどうでしょう?
もう真っ黒にしか見えない。
非人道的な人。
暴力的な人。
エゴの塊な人。
ウ
ン
ヌ
ン
カ
ン
ヌ
ン
真っ黒の眼鏡を通して見た世界は、真っ黒です。
飼い主さんの闇の部分しか見えません。
ペットちゃんからの悲痛な声しか聞こえません。
ところが、これを透明な眼鏡に
かけ直してみたらどうでしょうか?
闇の部分も見えるかもしれませんが、
光の部分も見えるはずです。
そして、その光の部分に、
飼い主さんが、それ以上、ペットちゃんに
手を上げなくて済むようなヒントが
隠されているかもしれません。
真っ黒眼鏡をかけていたのでは、
見えなかった世界がそこにあります。
飼い主さんは、それがきっかけで、
動物たちの無償の愛に触れる
ことになるかもしれません。
愛とは、何なのかを探求し始め、
人生がコロっと変わるかもしれないのです。
そして、もしかして、もしかしたら、
その飼い主さんは、そんなご自分の過去の体験を糧に、
虐待を止められない人に対して、
サポートする立場にまで、なられるかもしれません。
人の可能性って無限大なのですから。
もし、そんなことが起きたら、
このペットちゃんのお役目は絶大だと思いませんか?
黒い眼鏡をかけたままのコミュニケーションなのか、
まっさら透明な眼鏡をかけたコミュニケーションなのかで、
こんなに結果が違うのです。
「そんな飼い主さんが来たら、怖くてできない」
それも素直な気持ちでしょう。
だけれど、トッププロというのは、
それでも怖れを脇に追いやり、
自分をニュートラルな位置に置いて、
飼い主さまを信頼して、セッションに臨むのです。
そう、ただの媒体になりきるのです。
セッションは常に最善であり、
ペットちゃんと飼い主さまの利益100%に立つ。
これをやり切るのです。
「自分を捨てろ!」
時々、養成講座では伝えていることですが、
今日は、集中講座を終えた方を対象とした
練習会でも吠えてしまいました。
参加者さんのレベルがそれだけ
高かったのでしょうね。
練習会も講座も、いつも必然で
最善なことが起こります。
二つとして同じ内容にはなりません。
一口にアニマルコミュニケーションと言っても、
その幅は広いでしょう。
プロのアニマルコミュニケーターと言っても
その幅も広いでしょう。
自分で縫った手作り服、
ファストファッションの服、
ハイブランドの服、
服と言っても、まったく違うのと同じです。
どれが良い悪いとか、
優劣をつけるものではなく、
求める人の違いだと思います。
それぞれに良さはありますから。
ただ、わたしは、ハイブランドのお洋服を
お求めになられるお客様にも対応できる
職人を育てています。
極上のアニマルコミュニケーションをお届けしたい。
その想いに嘘偽りのなきよう、
これからも、まずは自らが精進してまいります。
よろしくお願いします。