愛犬の命日に母が急逝しました

毎月20日のルーチン。

昨年8月に亡くなった小雪の
ご供養のために、お寺詣りをしています。

今月も、いつも通りの朝でした。

その日は、純度100%のお休みを取るという
チャレンジをコミットしていました。
(とはいうものの、毎日欠かせない業務もありますので、
それらを除いて100%ということにはなりますが…)

名古屋から県外のバラ園まで出かけ、
バラの香りにうっとりする時間を満喫しました。

次の目的地に向かおうと車に戻った時に
一報が入りました。

「母、危篤」

昔の電報のような文字が、
スマホの画面にありました。

植物が大好きな母を
連れて来てやったら喜ぶだろうな~

そんなことを想いながら、
広いバラ園を散策したのですが、

この3文字が、永遠に叶わないことを
語っていました。

「あと、数時間しか持たないらしいから
姉だけでも、息のあるうちに行ってやって」

東京に住まう弟からのLINEでした。

このLINEの吹き出し一つで、
すべてを悟りました。

もう母と言語で会話をすることは
ないのだなということを。

母が、脳動脈瘤という時限爆弾を
抱えているのが発覚してから
かれこれ20年以上。

いつか、この日がやって来ることを
本人も、わたしも覚悟をしていました。

手を加える事が出来ない深部にある
その時限爆弾は、何十年の時を経て
爆発しました。

それが5月20日だった…

ただそれだけの事とも捉えられます。

しかしながら、ここ数か月、
特に、今月に入った辺りから
そろそろXデーがやってくるかも
という予感がありました。

一方で
わたしの思い過ごしとも思っていました。

受講生さんには、あれだけ
直感を大切にと言っているにも関わらず。

Xデーを予知したところで
わたしが何かを変えられたのか…?

独立心が強く、世話好きである母は、
逆に世話を焼かれるのは好きではありません。

死人に口なし

今更、本人に意思を
確かめようもないのですが、

いずれにしても
これが最善と捉えるしかないのでしょう。

あと数時間の命
ということで、
慌てて実家近くの総合病院へ
車を走らせました。

早期定年退職した夫が
毎日、在宅してくれていたのも、
母の目論見だったのでしょうか…

とっても助かりました。

テレビドラマのような
危篤の時に病室へ駆け込むシーンを
想定しながら約1時間半。

病院へ到着すると、
真っ先に直面したのが
コロナ対応でした。

なんと、最初に駆けつけた
2人だけが病室へ入れる
というルール。

救急車に同乗した父と
連絡を受けた叔母だけが
母に面会できました。

県外、しかも、
子や孫は、東京、名古屋、京都
と、嫌厭される地域在住です。

病棟へも上げてもらえず、
一階のコンビニに併設された
カフェコーナーで待機するしかありません。

それもやがて、
長時間利用禁止とのことで
追い出され、難民状態に…

夫が、守衛さんに掛け合ってくれ、
夜間救急外来の待合ソファをあてがわれました。

市内で一番大きな病院です。

毎日繰り広げられるような
ケースでしょうに、
他の方はどうしていらっしゃるのでしょう?

看護師をしている従姉妹が
駆けつけてくれて、
アイディアをくれました。

病室と待合室をリモートで繋ぐというものです。

勤め先の病院では、
そんなサービスが定着しているそうです。

病室の叔母のスマホ
待合の私のスマホ

この2台を繋げて
昏睡状態の母に語りかけました。

ありったけの

ありがとう!

を伝えました。

すると、
バイタルに変化が表れました。

昏睡から目覚めることはなくても
脳は聞こえています。

ここから先は、
スマホの画面を通じて
テレパシーでの会話です。

アニマルコミュニケーションは、
ほんとに便利です。

小雪のときも、今回も、
ほんとにこの技術を身につけておいて
よかったと心底思います。

「あんたは、まぁいいわ

大丈夫やわ

旦那さんと仲良く暮らしなさい」

母には気がかりが3人おりました。

1人ずつ聞いては、
安心してもらえるように
話しました。

「大丈夫だから…

大丈夫!」

そう伝えて、スマホ画面を切りました。

それから2時間弱して
母は、父一人に看取られて
息を引き取りました。

夕方6時半でした。

それから、主治医の説明を聞きました。

死亡診断書には、

くも膜下出血
19時25分

と記載されました。

夜7時半前

それは、奇しくも、
昨年8月20日に
小雪が冷たくなっているのを
発見した時刻です。

20日19時25分

偶然なのでしょうか…?

その日の夜、
娘の夢に、母が訪れたそうです。

でっかい茶トラの猫が現れ、
抱っこした途端、

看護師姿の母が、
とっても楽しそうにキビキビと
働いていたそうです。

娘はその姿を見て
安心したと言っていました。

茶トラの猫は、
私が二十歳の頃に飼っていた猫です。

30年以上して登場したのでしょうか…

母は、
看護師として長年働きました。

ケアマネージャーの資格を
第1期で取得しました。

とことん世話好きオバさん。

76年間の人生を閉じました。

「死んだら終わり!」

生前、そう豪語していた時期もあります。

「あはは

死んだら終わりじゃなかったでしょ?

死んだら、こっちの世界の真相が
よくわかるでしょ?」

まだまだ近くにいる母と
心の中で会話をしています。

義父は100日間、我が家を
ウロウロしておりました。

義母は、初盆の時、
我が家へは帰らず、
京都の実家へ戻っておりました。(^^;)

さて、うちの母は、
どうするのでしょうね…?

この世の真相の答え合わせができたら、
あっちへ引っ越していくのでしょうかね。

忌明けが、7月7日。

お星さまになり損ねないように
してほしいものです。

その頃、
たましいの星詠みセッションを
受けてみようと思ってます。
http://dear-mum.com/tamashii-hoshiyomi/

ちなみに、氣学の日盤を見ましたら
母にとって暗剣殺の日でした。

なるほど!

この世のエネルギー変容も大きいと感じます。

水星逆光も近づいております。

コロナも、異例の梅雨入りの早さも、
偶然ではないと思います。

どうぞみなさま、ご自愛くださいませ。

最後になりましたが、

この度は、たくさんの方々に
お心遣いをいただきました。

ありがとうございました。

お返事が出来ずに申し訳ありません。

また、講座のキャンセルや延期が発生し、
たくさんの方々にご迷惑をおかけしました。

楽しみにしてくださっていたのに
申し訳ありません。

心よりお詫びを申し上げます。

ひとり残された83歳の父親の
生活支援をしながらとはなりますが、

少しずつ現場へ復帰していく所存です。

現在、イベント出演、執筆など
新規のオファーはお断りをしている状態です。

これまで培ってきた講座やセッション等を
しっかり行っていきます。

今後とも、よろしくお願いします。

そして、最後の最後に

DearMum事務局メンバーのみんな!

支えてくれて、ありがとう!!

あなたたちの働きがなければ
この難局を越えることはできませんでした。

トコトン恵まれております。

ありがたき幸せ(^ ^)

これからも、よろしく!!