今すぐできるぺットロスからの立ち直り方

夫が3年間のブラジル赴任を終え、
本帰国してきました。

早速、小雪が眠るお寺へ
お参りに行ってきました。

「風情があるお寺だね~」と。

「盲導犬サーブが眠るお寺」
として、名古屋近辺の飼い主さまで、
知らない人はいらっしゃらないかと思います。

その風情も、飼い主の癒しのために
あるのでは? とも感じます。

そのお寺にお世話になる方が多いのは、
とても手厚くしてくださるからだと思います。

小雪の葬儀で、
御導師様がくださったお話を
思い出しました。

涙と鼻水で、くちゃくちゃの顔。

それでも、耳を働かせて、
何か肥やしにしようと
一生懸命に聞いたのを覚えています。

『愛別離苦』

「愛するものと離別する苦しみ」
を表す仏教用語。

8つある苦しみの一つとして
お聞きになったことがあると思います。

そのお話をくださいました。

出逢えば必ず別れがやって来る、
この世のはかなさを感じます。

失って初めて、その存在の大きさを
認識する愚かさも感じます。

いつまでもあるわけではない、
「時間は命」を体感します。

こんなことは、普遍の原理ですし、
誰もが知っていること。

けれど、体験して身で知るのと、
頭で知ることは、
こんなにも違うものかというのが、
小雪とのお別れで実感したことです。

1年かけて東京まで通い、
専門的にグリーフを学びました。

喪失の悲しみを癒すための
心理療法も学びました。

いずれも資格を取り、
知識も技術も手に入れました。

しかも、なんたって、
最後の最期まで対話できる
アニマルコミュニケーションという
道具も自在に使えるわけです。

だったら、本番になったときに、
悲しみはやってこないのか?

いや、そうではありません。

人間に平等に備えられている感情、
それを知識で無くすことなどできません。

悲しいものは悲しい。

心置きなく、すべてをやり尽くして、
看護や介護に後悔はありません。

「マミィ、ほんとに、
ひとりで大丈夫なの?」

最後まで、小雪にこんな心配をされる、
へなちょこ飼い主でもあります。

「大丈夫だって!

マミィの心配はいいから。

こゆちゃん、体、辛いしね、
もうほんと、いっていいよ。

こゆちゃんが、いきたいときに。

マミィは引き留めたりしないから」

こうして、わたしの方から手放している
ようなところもあるのに、

旅立てば、やっぱり淋しい。

悲しみや淋しさがやってくるのは、
人として自然なこと。

逆に、ヘンな気負いがやってくることを
わたしは懸念しておりました。

その気負いとは、

資格保有者であり、
たくさんの飼い主さんの
ペットロスに寄り添ってきた
セラピストという立場が、

悲しみを感じさせるのを
止めてしまうのでは?

というものです。

ですから、
「わたしは小雪の一飼い主である」ことに
徹すると心し、感情を抑えることは、
しませんでした。

人前で泣けない方は、
多いものです。

わたしもそうでした。

平気なふりを装うのが
とても得意でした。

ニコニコでごまかす。

これも、自分を知り、
人の心理を知ることで、

素直に悲しみを
表現することができました。

自分に素直になること。

自分を騙さないこと。

とてもシンプルですが、
実は、これがペットロスからの
快復にとても有効な方法なのです。

そして、これは、
愛する存在を亡くしたときだけでなく
あらゆるリカバリーにも効果的です。

涙は、浄化の王様。

水に流してくれます。

すると、見える世界があります。

この世に生きているからこそ、
体験できる事柄。

この辛い体験こそも「よろこび」。

この辛い出来事さえも、
体験してみたかった
のだということに気づきました。

すると、湧き上がってくるのが
感謝の心です。

悲しみと感謝。

一見、相反する感情が、
同時に心の中を占める。

これもとても貴重な体験です。

愛するものとのお別れは、
人間らしさを取り戻す機会を
与えてくれます。

死に直面して、生を知る。

動物たちの一生は短いために
わたしたちにこうして、
「生」を教えてもらえるのですね。

ペットたちの無償の愛に
感謝です。

悲しみ、淋しさの涙。

感謝の涙。

いっぱい泣いてください。

男性もね。