誹謗中傷を止められない人へ処方箋は愛

こんなお若くて、美しい人が…

なにがあったの??

テレビを持っていないので、
世の中の出来事とのつながりは、
もっぱらネットニュース。

ここ数日、PCを開けると目に飛び込んで
来るのが、誹謗中傷に関する様々な意見。

コロナで皆が、どこかしら痛手を負っていて、
こんなときだからこそ、「愛でつながろう!」
と訴える人たちも多いのに、
一方で、これ・・・。

愛と光が強くなると
闇も同様に強くなるのかもしれませんが、
それにしても悲しい出来事でした。

誹謗中傷で心が傷ついたことがある、
わたしの古傷がうずいたのかもしれません。

まだ、癒えてないのかな…

なんてこともふと思いました。

書き込みをしているような方々は、
きっと娑婆ではフツーの人にしか
見えないでしょうね。

 

 

「まさか! あの人が!??」

って、よく聞くフレーズですよね。

人は、正体が隠されていると思うと
まるで別人格のような振る舞いをすることも。

あるいは、公人になればなるほど、
何を言っても許されるというか、
言論の自由を盾に取るような風潮があります。

相手を見るや否や、立場に順位付けをして
マウントする言動をする人も。

偽名やHNを使って、正体を隠していても、
お天道様からは、丸見えです。

自分の蒔いた種は、いずれどこかで
自らが刈り取らなくてはならないですし、

天に唾を吐けば、自分にその唾が
降って来るだけ。

意識的にしろ、無意識的にしろ、
自分の言動に責任を取る必要があるのです。

こんな原理原則を皆が知っているならば、
こんな悲しい出来事は起きなかったでしょうね。

相手が傷ついたり、困ったりする姿に
ほくそ笑み、快感を得る人も
残念ながら、いるのが事実です。

下手をすれば命を取られかねない行為と
ご存知ないのでしょうね。

 

 

そして、もう一つのニュース。

京アニ事件の犯人逮捕。

その記事の中の一節に目が留まりました。

「人からこんなに優しくして
もらったことは今までなかった」

医療チームに対して発した言葉のようです。

この一文を読んで、
必要のは、愛だと改めて思いました。

正体を隠してまで、
自らのストレスを発散するかのように
書き込みをする人たちにも、

必要なのは「愛」。

非道な行為を批判し、
悔い改めるように厳しく指導しても
繰り返されるのは、
その行為そのものに焦点を当てているから。

見るべきところは、もっと奥。

その行為をせざるを得ない、なにかが、
本人の心の奥に、あるいは、魂の1ページに
刻まれているから。

その刻印をきれいに消せるのは、
愛しかないのです。

ご本人が愛を受け取り、
感謝があふれ出た時、
魂の傷も癒えるでしょう。

来世はきっと、今世での体験を踏まえた上で、
人一倍他者への優しさを示してくださると
信じています。

罪を憎んで人を憎まず。

処方箋は、愛ですね。

尊い命をもって、わたしたちに
それを指し示してくださった方々へ
感謝を表すとともに
ご冥福をお祈りいたします。