『自然死』って何だろう?

今月も、本日から3日間、
サロンが動物病院になっております。

毎月、福岡から原因療法の獣医さんをお招きして
DearMumのコたちを診ていただいています。

こんなことを始めてから
もうすぐ1年になります。

 

ことの発端は、わたしの愛犬・小雪が
体調を崩したことがきっかけでした。

もともと神経症状を抱えていて、
治らずとも、うまくコントロールをしていました。

 

それでも、昨年の度重なる天候不良や
地震の発生などの影響もあり、
9月1日に、前提疾患による激しい症状に見舞われました。

これで命の危機にさらされること3度目。

13歳という年齢から、
お別れも真剣に覚悟しました。

 

ターミナルケアに入るのか、
それとも、治癒の方へ向かうのか、

「このコのカラダは、
どちらへ向かおうとしているのか?」

小雪のカラダの声に、
全意識を集中しました。

「カラダは治ろうとしている」

そう感じました。

 

飼い主の希望というエゴが入りこんで
いないか、注意深く何度も見直しました。

表向きの症状とは裏腹に、
カラダのエネルギーは満ちているように感じました。

ならば、カラダの叡智に従って
カラダが欲するようにサポートをしてやろう!
と決めました。

その時に、ご縁があったのが、
今、うちのコたちを診てくださっている獣医さんです。

ありがたいことです。

 

おかげさまで、
14歳で、まだしなやかに動いております。

それでも、衰えというのは、
日に日に深まっていきます。

簡単にできていたことが出来なくなっていることに
気づいた時の淋しさは、なんとも言葉では
言い表せないものがあります。

 

アニマルコミュニケーターですから、
魂の存在になっても、
つながっていられますし、
いつでもどこでも話せることは知っています。

お空の暮らしが、どんななのかも、
お空の先輩組がたくさん教えてくれて、
知っています。

きっと、肉体の終わりを
感じることもできるでしょう。

 

その時には、そろそろだとも
察するでしょうし、

もしかしたら、最期にメッセージを
くれるかもしれません。

きっと、一般的な飼い主さんよりも
たくさんの知識と経験はあるとは思います。

 

けれど、やはり、居て当然な存在が
現実から居なくなる、

しかも、近い将来に。

そう思うと淋しさを感じるのは、
一般の飼い主さまと何も変わりません。

 

これまで、ペットたちのQOL(クォリティー・オブ・ライフ)を
たくさん考えてきましたが、

今、わたし自身が、このような立場となり、
QOD(クォリティー・オブ・デス)を考えるようになりました。

 

「自然な死を迎えさせてやりたい」

そう思ったときに、

 

「本当の『自然死』ってなんだろう?」

と思い始めたのです。

 

安楽死以外が、自然死と
思っていたことに気づきました。

そうではない。

カラダが終わろうとしていることに
サポートしてやることだと思いました。

 

カラダが、本当に終わろうと決めたなら、
もう終点に向かうだけです。

そこからミラクルが起きることはありません。

 

もし、小雪のこれまでの3回の復活が
ミラクルだとしたら、
それは、カラダはまだ終わりを
決めていなかったということ。

治ろうとしているのだから、
治ることにサポートをうまく
してやれただけのことです。

ですから、「終わり」を決めたら、
それを素直に受け入れて、
引き留めるような人工的なことは
しないと決めました。

人の自然死の本を読んで、
それを確信しました。

 

人が、本来の自然な最期を迎えるにあたって
どのようなプロセスをたどるのかを知りました。

終末医療に関わっている人たちには常識でも、
わたしたち一般人にとっては、未知の領域です。

知らないがゆえに、自然に枯れる過程を
邪魔をしてしまう。

ストンと肚落ちしました。

 

見ている家族にとっては苦しそうでも、
枯れてゆく過程には自然なことで、
本人は苦しくはないということ。

そこで、医療行為を施すことにより、
かえって苦しくなるということ。

 

もちろん、これはヒトのケースですから、
ヒトよりも自然に近い動物たちは、
違っていることもあるでしょう。

そのあたり、もう少し深く
探求していこうと思います。

 

こんなことを考えている過程で

お別れが淋しいというのもあるけれど、
「苦しませるかもしれない恐怖」の方が、
強いのだな~という気づきもありました。

「最期まで穏やかに」

飼い主さまなら、誰でも願う事。

 

せめて、小雪自身は苦しくも何ともないのに、
飼い主のわたしの思い込みで

「苦しがっている!」と

判断ミスをするのは避けたい。

もっと勉強しようと思います。